脳科学と心理学から語る子育てのホントのところ

子育て全般について、主に脳科学と心理学の観点から、本当に大切なことをメモ代わりに書き綴っていきます。

特別支援教育のホントのところ しつこく補足編

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

前回の記事で、途中でやめた部分がやはり言葉足らずだったと反省。

 

こういう類のことを書くのはそれなりのリスクも覚悟しておかないといけないことは重々承知しつつ。

 

でも、やっぱり「ホントのところ」を書かないと。

 

腫れ物扱いにするわけにはいかぬ。

 

というわけで、たくさんの補足をしつこめにさせていただきます。

しつこい系ブログ全開です。

 

 

前回の記事から

 

前回の記事で、

 

「発達障がいのみを特別扱いするな!」

「一人一人違うことこそ公平だ!」

 

と、書きました。

www.musubiyt.com 

「発達障がいだから違う」

のではなく、

「どの子もみんな違う」

ということを当たり前に。

全ての子どもを特別扱いするべきだと。

 

「一人一人違う」

 

大人は頭では分かっていても、行動は「同じ」を求めがち。

子どもに至っては、大抵「みんな同じ」だと思っています。

教わってないから。

 

「なんであの子だけ」と言う子どもや大人に対して、

「あなたと違うからだよ。」

「あの子はあの子、あなたはあなた。」

「あの子にしないことをあなたにしてる」

「みんな特別です。」

なんてなことを平然と堂々と言ってのけるべきだと考えます。

 

「みんな違う」を受け入れるということはそーゆーことでしょ。

 

そして、何よりもそれが子どもたちの為でもあります。

 

「発達障がいだから」特別なニーズを持ってるという考え方は根本的におかしいのです。

 

今すぐそんな考えは捨て去りましょう!

 

前記事の公平性の理由もさることながら、

別の理由もあります。

 

診断名に対して支援をするわけではないからです。

症状(気になる行動)1つ1つに対して支援や配慮をするのです。

 

ほら、そう考えれば定型も障がいも無い。

みんな同じ立場です。

 

定型発達の子だって、気になる行動に支援や配慮をするのです。

 

そうでないと、診断名ばかり気にする「レッテル貼り」で終わってしまいます。

 

たとえば同じASDでも、症状は千差万別。

対応方法もオーダーメイドです。

 

それに診断名自体、結局は「スペクトラム(連続体)」とか言ってみんなひとつなぎにしちゃってますよね。

 

結局よくわかんないからです。

 

おっと失言。

 

とにかく、ホントのところ、診断名よりも症状(気になる行動)が大事だということです。

 

そして、それは定型発達の子も同じ。

 

というわけで、

 

子ども達、大人達が

「みんな違ってみんないい」

を、ホントの意味で受け入れることが大切だということです。

 

これが子どものためと言いましたが、実はこのことが、いじめ問題にも繋がると考えています。

 

いや、ホントに。

 

社会は「同じ」が集まる構造

 

f:id:yuji0605_koi:20181119183554j:plain

どう繋がるのか。

その前に、まずは子どもたちを取り巻く社会の構造を見てください。

自然と似た者同士が集まるシステムになってます。

 

たとえば、学校。

子ども達の年齢は同じ。

同じ制服を着て、同じ時間を過ごします。

異年齢の交流などほとんど形式だけのものです。

そして、似たような家庭環境(親の世帯収入や生活習慣、思想等)などの背景を持つ子どもたちが自然と集まるのです。

特に私立はその傾向が著しくなります。男子校、女子校になれば性別も同じです。

学力も同じようなレベルでしょう。

 

今は学校外で近所の異年齢の友達と遊ぶことはほぼ皆無。学校と習い事だけの世界の子どもたちが大半でしょう。

つまり、「同じ」で溢れてるわけです。

 

小学校から中学、高校と進むにつれ、その傾向に拍車がかかります。

 

気付けば、自分の周りには、自分と似た人生を歩んできた者ばかりです。

 

要するに、子どもたちは小さいうちから無意識に「みんな同じ」であることを当たり前として育ちます。

 

特に日本には飛び級はありませんし、留年も高校まではありません。

さらには、ほぼ単一民族で、「みんな同じ」が強烈に意識の中に刷り込まれています。

 

本当は、一人一人が全く異なる存在なハズなのに。。

 

こうなってしまうと、「違う」ことに不安を感じ始めます。

 

周りと年齢が違う、髪の色が違う、服装が違う、意見や考え方が違う・・

そういった「違うこと」が不安になるのです。

 

これが厄介!

 

結果、自分を常に他人と比較するようになります。

アイデンティティは確立させられず、いつもいつまでも揺らぎの中です。

 

悪ければ、他人に「違い」を見つけた時に、その人を排除しようとすることもあります。

 

いじめが起こる一つの要因です。

 

もちろん、いじめ問題はそんな単純でないと思います。

ですが、根本に影響を与えることは間違いないと思っています。

 

現に、特別支援学級に通う子どもたちは少なからず通常学級の子どもたちに、心無い言動を受けています。

この辺を指摘する人はなかなかいないようですが、事実です。残念なことです。

 

原因の一端はやはり、小さい時からの「みんな同じ」と、特別支援学級の子どもたちをまとめて特別扱いし、定型発達の子どもたちと区別するからです。

 

子どもに責任はありません。

「みんな同じ」であることを前提にするということは、自分と「違う」存在に不安を抱くということにつながります。

それはとても自然な流れです。

 

「みんな同じ」

と、教えるのは一見良いことのように思えますが、たくさんのリスクを孕んでます。

 

そうではなく、

 

子ども達に「一人一人がみんな違う」ことを前提に、

「違いを認め合える」よう育てなければならないはずです。

 

それを”自然に”受け入れるのは、「みんな違う」ということを小さい時から当たり前にすることです。

口を酸っぱくして、さまざまな場面で教えていくしかないでしょう。

 

教える方法は言葉ばかりではありません。

実際にさまざまな場面で「違い」を見せたり、強調したりする必要があります。

 

あなたにはこれ、あなたにはそれ。

違うことを当たり前に。

 

たとえば、問題の出し方。

少し前に話題になりましたが、

2+4=

という問題ではなく、

□+△=6

として、正解は人それぞれとかもこの考え方に当たります。

 

そういった、一見他愛もないことの積み重ねがいじめを減らすとも思っています。

 

人は一人一人違うんだ。

友達と僕は違うんだ。

 

それがアイデンティティの形成に繋がるなのではないでしょうか。

 

発達障がいと定型発達の境い目

f:id:yuji0605_koi:20181119183644j:plain

最後に一つ問題提起を。

 

発達障がいは原因がよくわかってません。

 

「脳の機能不全が原因です」

 

と、さも原因が特定されているかのように言われてますが、どこがどう不全なのかハッキリしてません。

その証拠に診断基準は未だに行動レベルの質問項目です。

 

従って、対応も対症療法しかないのが現実です。

 

診断基準として有名なのはアメリカ精神医学会のDSMや、WHOのICDでしょう。

 

そこには、たくさんの質問項目が並んでいて、一定の数以上が該当すると、発達障がいと推定されることになります。

 

たとえば、DSMにおけるADHDの不注意に関する項目は9項目中6項目以上当てはまると不注意と診断されることになります。

 

さて、ここで疑問が生じます。

 

該当する項目が5項目だったらどうでしょうか。

 

5項目該当していれば診断基準は満たさないまでも、生活レベルは困り感を抱いているかもしれません。

 

いわゆる、グレーゾーンというやつです。

 

もちろん、診断基準のみで診断されるわけではありません。

心理検査を行い、生育歴や現在の適応度など聞き取り、総合的に判断するので、生活に支障が出ていれば必ずしも診断基準を満たす必要はありません。

 

そんなことは当然として。

 

では、4つならどうでしょうか。

 

そう考えていくと、ますます発達障がいと定型発達の境目は曖昧です。

 

実際にDSMやICDに書かれている項目を知っている方は、「あれ?私も・・かなり当てはまるかも・・」なんて感じられた方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

誰しもいくつかは項目に該当するのではないでしょうか。

 

そんな大人たちはどうなんでしょうか。

 

定型発達なのでしょうか。

発達障がいなのでしょうか。

 

さらに別の角度から。

 

本来は定型発達に位置する子どもでも、欲求不満な状態に晒され続けたり、虐待を受けたりすると、ADHDやASDに似た症状を示すことがあります。

 

こういったケースは、どうなのでしょうか。

 

そんなことをツラツラと考えているうちに、発達障がいと定型発達は、「つながっている」 と捉えた方がいいのではないかと僕自身は考えるようになりました。

 

最近は使われなくなったアスペルガー障害(AS)や高機能自閉症(HFA)。

これらは結局、自閉性スペクトラム(ASD)と一括りになりました。

 

最近はADHDスペクトラムと言われることもあるようです。

 

スペクトラムとは、連続体という意味です。

 

つまり、ASDで言うと、アスペルガー障害や高機能自閉症は連続体の中に位置し、繋がっているという捉え方です。

 

僕はその線をもっと延ばして、定型発達もつなげて考えるべきだと思うのです。

 

学術的にはいろんな反論があるでしょうが。

そう捉えた方が良いのではないかと思っているのです。

 

理由は、しつこく繰り返している通りです。

 

「一人一人がみんな違うニーズを持つことを前提とすることで、みんな同じ立場としてみなせるから」

です。

 

別の言い方をすると、

「特別な支援を必要とするグループ」という枠を消すべきだと考えているからです。

 

だって、もともとみんなが特別なんだから。

 

過去の流れを遡ると、現在、障がいの枠が変わってきています。

 

最近よく話題にのぼる、ADHD、ASD、LDなど。

少し前まで軽度発達障がいと言われていた発達障がいは、3〜5パーセントの発生率とされてます。

単純に1クラスに数人いるという話です。

 

実際にはもう少し多いんじゃないかと思ってますが、、。

 

いずれにしてもかなり高い数字です。

 

一方で、

それまでの障がいというと、たとえば自閉症なら一万人に5人という発生率でした。

 

ざっと0.05%です。

 

そのほかの障がいに関しても似たような発生率です。

 

このように発生率が100倍にも高まっている中で、従来のように単純にグループ分けしていて良いのでしょうか。

 

少し発達が偏ってるからと言って、特別支援学級なる別室に在籍という流れでいいのでしょうか。

 

これでは、いつまでたっても発達障がいは、「特別なニーズを持つ特別な存在」のままです。

 

別に別室での個別もしくは、少人数学習に異を唱えているわけではないのです。

誤解のありませんように。

必要な場合も当然あるでしょう。

 

ですが、現在のシステムでは、別室での個別対応を求める場合、籍を特別支援学級に置くことが前提になります。

通常学級に籍を置いて必要に応じて別室での支援はできないのです。

(自治体によって違うかもしれません)

 

このシステムを見ても、やはり特別な存在として区別ありきだということがわかります。

 

ヨーロッパではすでに統合教育がかなり進んでいます。

日本でもそれが叫ばれて久しいですが、実態はなかなか進みません。

 

その根っこには、前回の記事で書いたことが根本にあると思ってます。

 

日本では同じクラス内では、同じ相手に同じことを同じように教える。

ここからなかなか離れられないのです。

 

意識改革

 

とにかく、全体に意識改革が必要だと考えます。

視覚障がい者が、杖を持つのは普通なこととして、世の中に浸透してるんじゃないでしょうか。

そんな風に、発達障がい者が個別の支援を必要とすることも普通のことなのです。特別なことじゃない。

だから、なるべく普通の場で普通に堂々と支援してしかるべきでしょう。

 

まずは大人が堂々としていれば、子どもたちはそれを自然なこととして受け入れるはずです。

 

たとえば、視覚障がいの子がいるクラスはまとまりやすいという報告は、昔からあります。

 

なぜでしょうか。

 

視覚障がいの子は、その特性上、支援の必要性が、他人から見ても分かりやすい。

どう接すれば良いかも分かりやすい。

目を閉じれば、その立場に立てるから。

 

そのため、クラス全体として自然とそれを受け入れ、子ども間でも、サポートの空気が醸成されやすいのだと思います。

 

見方を変えれば、子どもは、言われなくても「違いを受け入れる心の素地を持っている」ということです。

ただし、子どもの目から見て、違いやニーズが分かりやすい場合です。

 

ですが、発達障がいはそうはいきません。

支援の必要性も方法も見た目だけでは分かりにくいからです。

 

分かりやすくするためには、大人が堂々と表現するしかありません。

そして、接し方、対応方法など、違う方法でも必要なら堂々と認める。

 

そうすれば、もともと子どもは大人よりもナチュラルに受け入れる心を持っています。

 

子育てや教育で、「違いを認め合う」ことを当たり前とする手法や考え方がもっと浸透してほしいと願います。

 

というわけで、今年の発表会で年長さんが歌う歌をご紹介します。

♪ みんな色の世界 ♪

この歌の歌詞、まさに前回と今回の記事にピッタリ。

みんなで歌いましょ♪

ラーラーラーララー♪

 

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
よろしければ下のボタンぽちっとお願いします。皆様のぽちっが大変励みになります。