前回記事の続き。間取りを考える第3弾までになっちゃいました。
第1弾「採光編」と、第2弾「間取り編」は下からどうぞ。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。
一部に過激な表現や内容、また無理難題な話が含まれてますので、閲覧ご注意ください。
今回は過激に考察編ということで。
のっけからアクセル全開で、誰も言わないホントのところを綴っちゃいます。
子どもにプライバシーは必要なし
前記事から
人とたくさん関わる間取りや、
兄弟は一緒の部屋に、
とか言ってきました。
もうお察しかもしれませんが、
ハッキリ言います。
子どもにプライバシーはいりません!
なぜなら、子どもだからです。笑
こういうと、
「子どもを一人の存在として認めないのか」
という人がいますが、一人の存在として認めるということと、大人と同等の権利を認めることは違います。
相手は納税の義務もなければ、選挙権もない、刑務所もない、お酒やタバコも吸えない、保護者の庇護下にある子どもです。
まだ判断力も思考レベルも、感情や行動のコントロールも未熟な存在なのです。
だから、保護者が責任を持って育てないといけないと社会が判断しているわけです。
そんな未熟な存在に、大人と同等の権利が与えられるわけがありません。
与えて良いわけがありません。
だからと言って、一人の存在として認めていないわけではありません。
子どもの発達や能力に応じ、適切な環境や権利を常に模索しながら与えてやることこそが大人の務め。
で、それを常に心に掛けていることこそ、存在を認めることになるのはずです。
子どもの思い通りに何でも与えることこそ、むしろ、子どもの存在を否定していると言えます。
子どものことを何も考えずがむしゃらに与えるのと変わらないからです。
従いまして。
子どもに
「僕にもプライバシーを認めてよ!」
と言われれば、こう答えるつもりです。
「自分で稼いで自立しなさい」
と。
「家にいるなら、家賃と食費を家に入れてからだね」
と。
真の意味での子どものために。
従いまして、
子ども部屋にはドアも要らない!
と、言っても良いくらいです。
とはいえ、ドアがない家なんて、それこそ無いでしょうし。
光熱費も無駄にかかっちゃいそうだし。
まぁ、そこまでは言わずして。
せめてドアにカギを付けないようにしませう。
これは絶対に死守すべきです。
繰り返しになりますが、
プライバシーが必要なら、自立して自分の稼ぎで自分の家に住むことを目標に据え、そのために今からできることを子どもと一緒に考えるようにすれば、非常に前向きです。
こういったことを比較的小さいころから、折を見て話をしておくことは非常に大切です。
いちいち説教をするのではなく、前向きな話として、楽しく会話出来るときに少しずつ話しておくのです。
説教になると途端に聞く気が失せますから。
数年先のことをイメージするのは、動物にはできない、人間ならではの能力です。
人間ならではの能力ということは、非常に高度な脳のはたらきを要するという意味です。
それを小さい時からしておくということは、それだけで脳のトレーニングになっているということです。
もっと言えば、こうすることは将来的に引きこもりを予防することにも繋がります。
ホントです。
これまで書いてきた採光や間取りの話も、実は全て引きこもりの予防に深く関連しています。
はい、どんどん話がそれていきます。。。
引きこもりについても色々と支援活動してまいりましたので、いつか記事に。
ぐいっと戻して、再び、お家の話へ。
なぜ人と関わらざるを得ない間取りにするのか
結局、脳を発達させるには「必要性」が必要だということです。
これも大体のことは以前の記事で書きましたが、
使わない能力は身に付かない。
必要性のない能力は伸びない。
子どもの場合、大人がその必要性をある程度意識して作ってやらないといけない世の中になってしまいました。
なぜなら、世の中が色々と便利過ぎるからです。
中でも、人と関わることについては、その体験を通して様々な成長と発達が期待されることは、すでに前回までの記事でも述べてきました。
しかし、人と関わることさえも、便利な世の中は確実に子ども達から奪ってきています。
SNSやテレビゲーム、VR (ヴァーチャルリアリティ)等々…
人と人が直接対面する機会は、この先確実に減っていくでしょう。
「友だちの家に遊びに行く」ということさえ、すでに都心部ではかなり減少しているようです。
お互いが自宅に居ても、ネットを介して会話しながら一緒にテレビゲームができるからです。
凄い世の中になってきました。
こうしたことを無条件に否定するつもりはありませんし、それはそれで別の良い点もあるかもしれません。
しかし、乳幼児期、いや、最低でも8歳までとなると、話は別です。
好ましい環境とはかけ離れている!
と断言できます。
EEEではないからです。
乳幼児期〜児童期(小学生までの期間)は、特に実体験を通しての学習が大切だからです。
たとえば、
人と直接会うことで、表情を読んだり、態度や仕草から相手の気持ちを慮ったりするなどの、非言語コミュニケーションはもちろん、言葉の抑揚や語気から相手の心情を察するといった人間同士の心や感情の機微を読むことができるようになります。
さらには、空気を読んだり、前後の文脈から状況の機微を読み、判断したり意思決定したりすることも関連します。
それらは、本来なら乳幼児期から日常生活の中で、人との関わりを通して絶え間なく訓練されていきます。
ですから、乳幼児期、いや8歳まで、イヤイヤ中学生になるまでは、人と関わる機会を子ども達から取り上げない環境を模索しなければならないでしょう。
その為には積極的に人との関わりを与えなければなりません。
少子高齢&IT化の時代だから。
人と関わることができる環境をわざわざ用意する必要があるのです。
タイヘンだ…
色々な人との出会いは、様々な価値観や考え方、理念、伝統、文化、宗教等々があることを体験する貴重な機会です。
世界を広げ、自身の中の選択肢を広げることにつながります。
選択肢の少なさは、許容範囲の狭さになります。
「〜ねばならない」「〜すべき」思考が強まり、自分や周囲の人を苦しめることになりかねません。
狭量な価値観に囚われてしまえば、周りだけでなく、本人が最も生きづらく苦しむハメになってしまいます。
ですが、実際、いろんな人と出会える環境を用意するのは難しい!
ですが、できなくても許容範囲を広げる環境は用意できます。
その一つの方法が、自宅の間取りを考えるという今回の一連の記事でした。
思い通りにならない環境の大切さ
自宅の中でも、自分の思い通りにならない体験が2歳を過ぎた時期から少しずつ必要になります。
発達し、前面に出てくる自我と、それを抑制、コントロールする力とのせめぎ合い。
そんな葛藤とジレンマが人の前頭葉を発達させていきます。
2歳を過ぎる頃から徐々にしつけを開始する理由はここにあります。
ただし、年齢に応じたレベルの葛藤やジレンマが必要であることは言うまでもありません。
しつけでこうした体験を積むのはもちろんなのですが、しつけ以外の場面でもっとナチュラルに積むことができます。
それが、自分の思い通りにならない場面です。
前頭葉は20歳前後までかけてじっくりと発達していきますので、乳幼児期を過ぎてはもちろん、青年期に入ってもこうした場面が大変重要な意味を持ちます。
じゃあ、思い通りにならない場面をどう作るか。
とってもカンタン。
これを前回の記事で述べたような間取りにしておくだけ。
あとは特に何かをする必要はありません。
これでわざわざしつけをするまでもなく前頭葉を鍛える体験ができマス。
たとえば。
親に叱られた後。
兄弟喧嘩をした後。
何か大きな失敗をした後。
そんな時は、気まずくなり、相手や家族と顔を合わせたくないこともあるでしょう。
ですが、
リビングが中央、兄弟一緒の部屋の場合、顔を合わせざるを得ない。
そんな時間がほっといても増えます。
この居心地の悪さとも言える環境が大切。
その時の葛藤やジレンマが、子どもの社会性を高めます。
この時、自分の感情をコントロールしたり、気持ちを切り替えたり、人の表情や空気を読んだり、機嫌が悪い人との付き合い方や、いなしかたなどを学びます。
顔を合わせたくない人との対面は当然エネルギーを使うし、ストレスにもなるでしょう。
一方で、高度な社会性を身につけるために非常に重要な体験です。
この環境が幼少期に非常に大切なのです。
大きくなればなるほど身に付けるのが苦しくなるからです。
ケンカをして、すぐに自分だけの部屋に閉じこもり、好きなことをしてストレス解消して時間を過ごし、挙げ句の果てに親の方から話しかけてくれてから、うやむやに元通り。
こんなことばかりでは、とても自分で感情のコントロールや気持ちの切り替えたとは言えません。
大切な時期に大切な力を養わずに育つことになります。
家族は最高の練習相手
中でも特に大切なのは、一度モメた相手と仲直りする、再びいつもの関係に戻り、会話することです。
もちろんこの時の大人の対応はとても重要です。
ですが、特別なことをする必要は全くありません。
大人は、喧嘩した後、叱った後、失敗を発見、確認した後でも、普通に接するだけでいいのです。
一度叱って終わったことは、後で一切蒸し返さず、何事もなかったかのように会話する。
コレだけ。
相手が肩透かしくうくらいがちょーど良い。
今の子ども達は、ケンカやトラブルがあった相手と仲直りするのが非常に下手です。
そもそも、トラブルの経験自体が少ないから仕方なし。
さらには、実際に自分達だけで気持ちを切り替え、仲直りするという経験もわずか。
すぐに大人が介入するからです。
これではいけません。
そこいくと、家族はそういった経験の練習相手に最適です。
わざわざ自宅の間取りを考えてまで社会性を伸ばそうとするのは、これが理由です。
なぜなら、よほどのことがない限り、縁も切れないですし、一緒に住んでいるからそのままにもできない。
逃げることもできなければ、隠れることもできない。
まさにうってつけです。
気持ちの切り替えや仲直りの経験をたっぷりと積んで欲しいところです。
ただし、1人部屋があれば逃げも隠れもできる。これが良くないのです。
その他のポイント
テレビの場所
テレビについては、以前記事にしました。
テレビが発達にどのような影響を与えるのか、社会性を伸ばす番組はどんなジャンルかなどについて書きました。
が、家のどこに置くかは言及してませんでした。
結論から言うと、テレビはリビングに一台あれば十分。
大人の部屋ならまだしも、子どもの部屋にテレビは必要ないでしょう。
こうすることで、家族がリビングに集まる環境が作れます。
ちなみに、子どもが3歳になるまではテレビはほぼ必要ないので、リビングにも置かないのがオススメです。
最初から子どもの視界に入れないというワケです。
最近はパソコンやスマホが増え、テレビ自体あまり見ないかもしれませんが。。
ネット環境
ネット環境もよくよく考える必要があります。
ネットはWiFiじゃなく、LANケーブル。
これがおススメです。
確かに設置の手間はかかりますが。
中高生になっても、大事なところはしっかりと大人が管理しなくてはなりません。
判断力、自制心などが未熟だからです。
そんな子どもに、自分でネットの時間や閲覧の範囲を制御しなさいという方が酷なのです。
LANケーブルなら、物理的に管理できます。
リビングにパソコンを置き、そこの差し込みだけにネットをつなげば、リビング以外ではネットができません。
子どもの年齢に応じて、各部屋の差し込みにネットを繋ぐか繋がないかの選択ができます。
また、ルーターの設定で、ネット接続の時間も制限できます。
この辺は他の専門的なサイトにお譲りします。。
おまけ(余談)
続き間
昔の家は、続き間が当たり前だったので、部屋と部屋は襖で仕切られているだけ。
部屋を通って隣の部屋へ行くから、人がいる横を抜けて通ることもしばしばだったようです。
当然、一言声をかけることも多くなるでしょう。
それが当たり前なら当たり前にコミュニケーションをとるようになるでしょう。
逆に部屋と部屋を壁と扉で仕切り、部屋と部屋の行き来は廊下。
それが当たり前なら人と関わる機会は自ずと減ります。
些細なことのように思われるかもしれませんが、毎日の積み重ねはやがて大きな差になります。
縁側という空間
縁側は、日本の素晴らしい住宅機能だと勝手に思ってます。
今でも縁側がある古い家は田舎に行けばたくさん見かけますが、周囲の道路が変わっていたり、家の周りに高い囲いができているため、縁側が本来持つ機能は果たせていないことが多くなってます。
本来の縁側は、道に開けていて、誰もが気軽に立ち寄れる場所でした。
今は、道路と敷地内が明確に分けられ、外から中が見えないことも多いので、本来の機能を果たせていません。
田舎の家を見てもほとんどそうなっています。
個人的にもったいないと思いつつも、一方で油断ならない時代。
危険もいっぱいありますから、致し方なしかとも思うのであります、、。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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