何度言っても聞かない。
言うことを全く聞いてくれない。
そんな悩みを持つお母さん、お父さん。
多いのではないでしょうか。
本日は、そんな多くの子育てママが抱える悩ましい問題についてホントのところをお届けします!
さっそくですが。
子どもが言うことを聞かない場合。
考えられる原因は、実は多くはありません。
- ①イヤイヤ期、反抗期
- ②子どもの話がいつも後回しになっている。(大人に余裕がない)
- ③子どもの能力以上のことを要求している。
- ④要求が多すぎる、細かすぎる
- ⑤真逆の対応になっている
- ⑥言葉の重みが失われている
だいたいこんな感じです。
で、特に言いたいのは、⑤と⑥についてです。
理由は3つあります。
- 1.日々の仕事や、ボランティア(青少年支援)、はたまた街中で見る限り、⑤・⑥が原因で困っておられるケースがかなり多いと感じている。
- 2.①から④については、いろんなところで原因や対応について語られ尽くされてる感がある。
ちょっと調べたらいろんなサイトや本で良質な内容の情報も得られるので、そーゆーとこは他にお任せ。他力本願。 - 3.⑤・⑥が原因の場合、一時的な問題で終わらず、今後ずーっと尾を引き、非常によろしくない。
とはいえ、少しだけ①から④にも触れて。
そのあとしっかり⑤・⑥について書かせていただこうと思います。
①イヤイヤ期、反抗期の対応について
最初のイヤイヤ期は、2歳頃です。
自我が芽生え、自分の意思がハッキリしてくることが原因です。
それ自体は自然なこと。
受け入れるしかないし、喜ぶしかないでしょう。
とはいえ、最低限のルールは守らせる必要があります。
2歳過ぎた頃から少しずつしつけ開始です。
自我が強まっているからこそ、しつけも大切になります。
芽生えてきた自我を尊重するのはもちろん大切。
ですが、100%許容するわけではありません。自我と抑制のせめぎ合い。そんな人生最初の葛藤を経験することが大切になります。
この頃のしつけが求められる場面は、
「自分や他人を傷つける場合」
です。
「自分を傷つける」という意味には、最低限の生活習慣を守ることも含みます。
たとえば、食事をしたり、歯磨きをしたり、夜寝たり。
それらはしつけを要するところでしょう。
また、乱暴な言葉や、行動についても同様です。
ダメなことはダメだと、きちんと教えてあげる必要はあります。
でも、理由をコンコンと説明するのはほとんど無意味。
「それはダメ。○○だからやめて。」
と、あっさりと、でも毅然と。
ダメな理由は、さりげなくひと言で。きちんと理解するまで言わないと不安かもしれませんが、大丈夫。耳に入れる程度で十分と考えてください。ダメな行為はやめさせた上で、目を見てひと言で終える方が効果的です。
と、やはりよく見る文章になってしまいがちですが。。
基本的には言うことを聞かないのは当たり前だと割り切った対応が必要でしょう。
まぁ、諦めてください受けれ入れるしかない・・ということです。
順調な発達ということで。笑
②~④の対応について
②子どもの話がいつも後回しになっている。(大人に余裕がない)
話を聞かない理由に、自分の話を聞いてもらっていない可能性があります。「話を聞いてもらってない」というその経験が、皮肉にも活かされた結果、話を聞かなくなるのです。子どもは無意識に、「人の話は聞かないもの」と大人から学習したということです。子どもにとって、大人は常にモデル(見本)です。悪気は全く無し。
もし心当たりがあれば、
・話を聞く時は、目線の高さを同じにし、目を見て聞く
・子どもの理解するペースに合わせてゆっくり話す
・しっかりと子どもの目を見て話す
これで解決です。
念のため申し添えておきますと、常に話を聞く必要はありません。大人にも都合がありますから。「話を聞ける時は」ということです。
こういう対応の話の時に、「〇〇して下さい」というと、常にそれ以外はダメと受け取られることがあるのですが、そんなことはござんせんして。
できない時もあればやりたくない時もありますからして。
だって僕らは人間だもの。
③子どもの能力以上のことを要求している。
大人が気づかない間に子どもにとって難しいことを要求してしまっている場合もあります。
子どもにとっては、たとえやりたくてもできない。結果的に「言うことを聞かない子」になってしまうことがあります。
たとえば、3歳くらいの子に、相手の都合や立場を理解するように言っても、発達的に困難です。
「お友達が使ってたんだよ」などと、相手の都合や立場というものがあることを知らせることはモチロン大切です。
が、理解は難しいでしょう。その場では分かっても、また繰り返します。
理解は期待せず、繰り返すと思っていた方が良いでしょう。
他にも、たとえば食事がゆっくりな子どもに、早く食べなさいと言ったって難しいでしょう。
これらは言うことを聞かないというより、要求レベルが高すぎて、聞けない状態にあると言えます。
能力以上のことを求められると、失敗や間違い、注意や叱責の経験が積み重なり、自尊心が低下してあらゆる悪影響が出始めます。
子どもの発達に応じたレベルの要求に修正するか、同じ要求でも環境を調整する(食事の量を減らす、好きな物を入れる、立ち歩かず食べられた日はシールを貼る)などして、すり合わせを考える必要があります。
④要求が多すぎる、細かすぎる
たとえば、家でのルールが多すぎる場合や、子どもの行動に細かく口出しするのも、やがて言うことを聞かない、いや聞けない状態に至る原因になります。
大人側も、叱りたくないと思ってても、叱ることがどうしても増えてしまいます。
それを通り越してしまった場合、何事にも興味が持てない、意欲の無い、無気力な人間になってしまうことさえあります。
ルールは最小限。
でも、全く無いのも考えものです。
ちなみに我が家の2歳長男の現在の決まりごとは、
「食事は座って食べる、手洗い・歯磨きは欠かさない」
この2つです。
というわけで、それぞれの対応をざっくばらんにまとめれば、
①⇒ある程度言うことを聞かないのは仕方なし
②~④⇒こちらの接し方を振り返る
ということです。
とまぁ、ここまではいろんなところによく書かれてる当たり前のこと。
先にも書きましたが、ちょっと調べれば、もっと詳しく書いてある良質なサイトや本がたくさんあります。
で、①~④のどれも当てはまらない時。
その時は、ほぼ確実に⑤か⑥が原因と思われます。
よく、この記事のような内容の最後に、言うことを聞かない原因の一つとして、発達障害(ADHDなど)の可能性を指摘しています。
が、発達障害があっても無くても、今回のテーマに関しては、理由や対応はほとんど変わりませんよ。
発達障害を抱える子たちに有効なことは、定型のお子さんにも有効ですし。
そもそも両者はまったく異なる存在のように巷では扱われていますが、僕は両者は“つながっている”と感じています。
それを示す実態も色々と挙げられます。
この点は話がそれるので、今度記事にします。
⑤真逆の対応になっている
さて、本日もやっぱり前置きが長い・・。
ようやくここからが今回の本題。
⑤や⑥の状況にある場合、すぐにでも改善が必要です。
と、僕は思っています。
だって、もし思春期に差し掛かるまで続ていれば、このことによる悪影響は手に負えないレベルになっていると予想されるからです。
青少年支援のボランティア活動に関わり8年が過ぎましたが、学校中退、引き込もりなどの一因がこの辺にもあります。
というわけで、話を戻しまして。
真逆の対応と言っているのは、
「言うことを聞いてほしい」
と、願っているはずなのに、子どもへの対応を見ると、
「言うことを聞かなくていい」
と、言っているような対応をしちゃってる。
こういったケース、本当に多いです。
ウソみたいでしょ?
でもホント。
そんなことする訳ない。
と、思ってもやっちゃうものです。
実際にしょっちゅうこの目で見てます。
真逆の対応の例
具体的にいくつか例を挙げますね。
例①
今日は子どもとショッピングにお出かけ。
ところが、いざお店に着くと、
「もう歩けない~、疲れたー。」
と、ごねる子ども。
優しいお母さんは、本当は歩いてほしいと思いつつも、
「まだ少ししか歩いてないのに・・。仕方ないな~」
と、抱っこしてあげる。もしくは、カートに乗せてあげる。
自分で歩いてほしいと願っている場合、この対応は、真逆です。
お母さんが、歩けない子どもにしてしまっています。もちろん時々なら良いんですよ。「いつも」「ほとんど」な、場合は要注意です。念のため、、。
ちなみに同じ場面で、子どもがごねた後に
「あとでおやつ買ってあげるから。もうちょっと頑張ろう。」
と、促す。
これも真逆です。
続いて、例②
食事中にいつも立ち歩いてしまう子ども。
「今日はちゃんと座って食べてね。」
「うん。」
と、約束したけど・・
5分後には今日も立ち歩いてしまう。
その都度
「立ち歩いちゃダメだよ。戻っておいで。」
と声を掛けたり、連れ戻したり。
あの手この手でなんとかんとか食べ終わる。
これも対応が逆。
では、正解はどうなの?
となると思いますが、
その前に。
知っておいてほしい原則があります。
行動の原理原則
人間の行動の原理原則の話です。
これは、心理学の一分野である行動療法の領域でよく紹介される原則です。
ある行動頻度は、とった行動の後に起こった出来事により、規定される。
というものです。
分かりづらいですね。。
ごくごく簡単に説明すると、
ある行動の後に良いことが起こると、ある行動は増える。
逆にある行動の後に悪いことが起こると、ある行動は減る。
ということです。
本人が自覚してるかしてないかは関係なくです。
たとえば、
たまたま気が向いた時に部屋の片付けをしたら、その後たくさん褒められてご褒美にケーキまで登場した。
ということがあると、
片付け→褒め&ケーキ
となり、片付けの後に良いこと(褒め&ケーキ)があるので、片付けをする頻度が高まるということです。このサイクルを繰り返すことで自主的に片付けをする子になります。
逆に、片付けの後に、「まだあそこが散らかってる」とか、「ついでにここも片付けて」なんて言われると、
片付け→小言or追加の片付け
となり、悪いこと(小言、追加の片付け)が起こってますので、片付け頻度は減ってしまう。
ということになります。
これは子どもだけでなく、大人も同じです。
たとえば、ゲン担ぎです。
スポーツ選手などがよくやると思いますが、ジンクスというやつです。
ある野球選手がたまたま右足からバッターボックスに入った時にホームランを打った。
ということが何度か続いたので、以降毎回右足から入るようになった。
これを見ると、
右足から入る→ホームラン
と、右足から入った後に良いことが起きてます。そうして、右足から入ることが増えるというわけです。
逆に悪いことが起これば右足から入ることをしなくなるかもしれません。
この原則については、厳密には他にも注意すべき要素が色々あるのですが、とりあえず今の段階ではここまでにしといて話を進めます。
以上のことを踏まえて、もう一度例①と例②を振り返ってみます。
例①の子どもがいうことを聞く対応例
例①では、
「ごねる」→「抱っこorベビーカーに乗れる」
となってますよね。
言うことを聞かずにごねた後に、良いことが起こっています。
なので、「いうことを聞かずにごねる」という行動は増えます。
少なくともなかなか減らないでしょう。
これが、真逆の対応と僕がいう理由です。
例①の正解例を状況別に3パターンほど挙げてみます。
大人側もいろんな状況がありますから。
・急いでいる時
・時間に余裕がある時
・どうしても子どもが手強い時。
この3パターンにして考えてみます。
まず急いでいる時。
歩くように説得する暇もない。
そんな時は、子どもがごねる前に、こっちからすすんで先に乗せちゃう。
先手必勝です。
これで少なくとも「言うことを聞かずごねる」という行動を増やすことはありませんから。
さっさと乗せちゃえばいいのです。最初から。
当然ですが、常にこれをしていると、ショッピングで歩くことをしないのが当たり前になっちゃいますからご注意下さい。
自分で十分歩ける幼児がベビーカーやカートに乗りっぱなしな姿を見ると、正直やるせない思いになります。
もったいなくて。
時と場合によっていろんな状況があるでしょうから、もちろん一概には言えないのですが・・。
忙しい時、めちゃめちゃお疲れの時など、いざという時の緊急手段です。
ということで、2つめのパターン。
時間に余裕がある時。
余裕があるなら、乗せずに粘る。
この場合は、
「ごねる」→「抱っこもベビーカーも無し」
と、なります。
なので、「言うことを聞かずにごねる」という行動の頻度は増えることはありません。やがて減っていくはずです。
が、当然、子どもも粘りますから。
そこを大人も譲らず粘るということが必要になるわけです。
最初からこういった対応をしていれば良いのですが、これまで真逆の対応をしていて、突然対応を変えると、その時の抵抗は今までの数倍は激しくなるでしょう。
「今までは抱っことかベビーカーに乗せるとかしてくれたのにっ!!」
という思いも相まって、そりゃもう激しく抵抗するでしょう。
「そうか、もっと泣けばいいんだ!」
とばかりに。そりゃもう。。
子どもには恥も外聞も無いですから。強いです。
それでも、大人が譲らず頑張れるかどうか。
ここが大切です。
譲らず頑張ることが大切です。
今の悪循環をどこかで断ち切る必要がありますから。
そして、これを継続していけば、やがて激しい抵抗もおさまってきて、「言うことを聞ける」ことが増えるはずです。
激しい抵抗はずっとは続きません。
大切なのは、こうした対応をとることにより、子どもたちなりに自分の感情のコントロールの仕方を学ぶということです。
そして、幼児期のこのような学びは大人になっても継続します。
いるでしょ、大人になってもすぐキレる人。
同じことが起こっても、必死で我慢してストレスを溜める人と、受け流せる人。
おっと、話が逸れる、、。
さて、じゃあどーすれば?という話です。
具体的には、ひたすら
「今日は乗らずに頑張ろうね。」
と、言い続けるのみです。
子どもが泣こうと喚こうと。ひたすら繰り返し。
または、無視です。つまり、反応しないことです。
子どもが泣こうと喚こうと。
目も合わせない。
これで頑張るのであります!
この粘りができない保護者が増えているようです。
それは、あまりに行き過ぎた「子ども中心主義」のせいだと僕は感じています。
「叱ってはだめ」とか、「子どもにストレスを与えないように」とか、「子どもの思うままにさせてあげる」とか、「子どもの意志を尊重する」とか。
そんな聞こえの良い言葉ばかりが並べ立てられ、それをしない保護者は悪のように感じるほどでしょう。
いろんなサイトにも、粘れ!なんて書いているサイトはほとんど無いでしょう。
しかし、聞こえの良い言葉ばかり言っていたら、ハッキリ言って、子どもは育ちません。
褒めるのも大切なら、子どもの思い通りにならないことも大切ですし、時には注意や叱責も大切です。
でも、世の中がこんな空気だから、外で子どもがただをこね、泣きわめかれると、それを黙って見てる保護者はまるで悪者扱いです。
世知辛い世の中ですから、「静かにさせろよ」と、怒られるかもしれません。
僕はエールを送りたいとこです。
駄々をこねられて無理な要求をされても揺らがず、どっしりと構えて様子を見守る大人があれば「立派ですね。」と言いたい。
たとえば、
「おやつ買ってー!」
と、泣きながら訴えてきた子どもに
「もぅ、買わないって言ったでしょ。」
と言いながらも、結局最後は
「今日だけよ!」
と、おやつを買って帰る。
今日だけになるわけがない。
その理由は、もうお分かりですよね。
ごねる→おやつを買ってもらえる
ですから。
これを続ければ、ごねる行為は増えていきます。
真逆なんです。
親はどっしり構えて毅然と「今日は帰るよ」「また今度ね」と、言い切ればいいのです。
泣こうが喚こうが。
大人が粘って、なんとか子どもが行動を修正したら、その時にしっかり褒めてあげてください。
正しい行いの後に褒めたり、ご褒美を与えたりして、良い出来事があるようにします。
そうすることで良いサイクルを作れます。
正しい行動→良いできごと
話を例題に戻しまして。
例①のもう1つのパターン。
子どもがごねた後に「おやつ買ってあげるから」と、もう少し歩かせるパターンはどうでしょうか。
「おやつを買ってあげる」と、先に宣告してしまっています。
これがアウトです。
あくまでも約束を取り付け、ある程度その通り行動してから「おやつを買ってあげる」というのが正解です。
でないと、
「ごねる」→「おやつの約束」
という図式になっていますから。
「ごねる」という行動を親が増やしてしまっていることになります。
真逆でしょ。
過日、こんな場面がありました。
神社の石段を、3歳くらいの子どもと一緒に上っているお母さん。
手を繋いで、「よいしょ、よいしょ」と、お母さんは子どもに声をかけながら上っていました。石段の中間あたりにきた頃、
「抱っこ〜」
と、せがみはじめた子ども。
お母さんは、全く動じず、笑顔のまま
「あともうちょっとだよ。」
「上れるよ。」
と、優しく声をかけて励まし続けるのみ。
しばらく抱っこを粘っていた子どもも、しぶしぶ上がり始めて、途中の踊り場に到着した時。
「自分で上れたね。えらいね。」
と、最後は子どもを褒めてあげていたお母さん。
もう、素晴らしい光景でした。
抱っこをせがむ→何も無し
自分で上る→褒められる
という図式ですから、抱っこをせがむ行為を増やしはしないし、自分で上るという行動を増やす可能性もあります。
素晴らしいっ!
ホントに拍手しようかと思うくらい。
僕なんかよりよっぽど優れた実践者でした。
特に最後に自分で上れたことを褒めていた点が素晴らしいです。
とはいえ、現実は厳しい。
激しく大声で泣かれて、喚かれて、、。
そこまでされたら無理かも、、。
そんな時のために少しだけ譲歩の手段を。
どうしてもダメな時のための方法です。
それが3つ目のパターン。
どうしてもだめなら、一定の条件を出してから乗せる。
たとえば、
「じゃあ、あそこのお店まで歩いたら抱っこしよう」
と、少し歩かせてから抱っこするという感じです。
本来求めていた行動よりも簡単な行動をさせてから要求を受け入れるという感じです。
そうすることで、
ごねる→抱っこorカート
から、
言われた通りにする→抱っこorカート
になるので、ごねる行為を直接肯定することを避けることができます。
まぁ、苦し紛れではありますが、苦しい時のお助け方法です。
例②の対応例
次は例②です。
正解に行く前に、真逆な対応の解説を。
「立ち歩く」→「注意する」
という流れになっています。
注意は一見「良くない出来事」のようですが、上の例のように、「何度注意してもいつも繰り返す」という状態になっている時は、「注意」が子どもにとって「良い出来事」になってしまっている状態だと解釈できます。
というのも、注意や叱責には、「見てもらえる」「声を掛けてもらえる」「かまってもらえる」という「良い出来事」としての機能も持っているからです。
これは大切なところです。
こうなっていては、注意は意味がないということになります。それどころか、立ち歩きを増やしかねません。
加えて、立ち歩いても結果的に最後まで食べさせてもらってますので、子どもにとって立ち歩くことによるデメリットが無い。ということになります。
ということで、正解例を少し。
まずは、「立ち歩かせない」
つまり、立ち歩く前に止めるか、物理的に立ち歩けない状態にする。
子ども用のテーブルイスで、足が下につかないように設定するのも1つの手段です。
たとえば上のようなタイプです。
または、最初から足の置き場がないタイプもあります。
たとえば上のようなタイプ。
足が地面につかないと、噛む力が弱まるなど諸説ありますが、何を優先させるかは状況によって異なりますので判断はお任せします。
ホントはこういったものを使わないのに越したことは無いのですが、、。
あ、我が家も使ってました。。
参考までに、、。
テーブルが床に座る座卓タイプなら、座る位置を考え、壁などを有効活用しながら立ち歩きにくい環境を作ります。
もちろん、思い切ってテーブルで食べるようにするのもアリでしょう。
さて、
それでも立ち歩いたら。。
「ごちそうさま」です。
あ、叱る必要はまったくありません。
でも、揺るがない鉄の意志で断固譲らないことが必要です。
「立ち歩いたからね」
と一言言えば十分。あとは淡々と食事を下げるだけ。
これがなかなか、かなり難しいんですけどね。
立ち歩く→食事無し
というわけです。
食事なしって・・・ヒドイと感じるかもしれません。
ですが、約束を反故にする方が子どもにとって影響が大きいと考えます。
この点については⑥でも書きます。
また、栄養面で問題はないことは、前回の記事を読んでいただければある程度納得いただけると思います。
それでも馴染まないという方もいらっしゃると思います。これはあくまでも一例ですので、どういう方法をとるかは考え方や状況次第で、いくらでも調整できます。
たとえば、
最初から約束しておいて、デザートだけ無しという手もあります。
立ち歩く→デザート無し
です。
他にもいろんなバリエーションが考えられると思いますので、具体的な方法については、子どもさんやご家庭の環境に合わせて色々と試していただきたいと思います。
ここで紹介するのは、真逆の対応から脱却するための考え方だけに留めます。
念のため、この例での注意点を。
子どもがある程度食事に満腹感を覚え、食べきってはいないけど、もう満足している。
そんな状態で「ごちそうさま」をしても効果はありません。
子どもに喪失感が無いからです。
減らしたい行動(困った行動)のあとには、軽い喪失感を与えるように考えると、対応策を考える時のヒントになります。
何かを無しにするという考え方です。
繰り返しますが、今回書いた例は、あくまでも例です。
対応は、家庭環境や考え方、お子さんの状況等々に合わせた方法を考えることが大切です。
今回伝えたかったのは、原理原則の部分。
これを日々の対応に活かしてもらえればと思っています。
ご参考までに、、。
⑤までの対応でかなり長文になってしまいました。
⑥については、次の記事にしたいと思います。
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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