脳科学と心理学から語る子育てのホントのところ

子育て全般について、主に脳科学と心理学の観点から、本当に大切なことをメモ代わりに書き綴っていきます。

子どもに言ってはいけない言葉のホントのところ

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本日は言わない方が良い言葉。

大人が子どもに対して言うべきでない言葉を紹介します。

 

乱暴な言葉や、下品な言葉は言うまでもなく、一般的に特に問題視されていない言葉にも、ホントのところ、言わない方がいいよってのがあります。

 

その辺を、理由と共にお届けしまーす!

 

 

言うべきでないことを知られてない言葉がある!

自分が言われてイヤなことは言わない。

こんなのは当たり前の話なので、このブログでは書きません。

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たとえば、

暴言、汚言はトーゼン。

過去をむし返したり、責めたてたり、イヤミを言ったり、友達や兄弟と比較したり、将来を否定したり。

これらの言葉を控えるべきだと言うことは、どの大人もよく知ってることでしょう。

 

よく知ってはいるけど、言っちゃう。

時には感情的にそんなこともありますともさ。

だって人間だもの。

 

ダメだと分かってても、ついつい、、。

言ってしまった後に後悔。

その繰り返し。

 

だって、僕らは人間だもの。

 

で、ポイントは。

言ってはダメなことは分かってる。

ココが大切。

ダメなことを分かってるけど言ってしまった、、。

その場合は、良くはないけど、まだイイ。でしょ。

後悔と反省をして、必要ならば子どもにも謝りましょ。

言ってしまった後にしっかりフォローしましょ。

そうすることで、子どもも「謝る」ということを学びますし、ママの葛藤や優しさにも気づくかもしれません。

悩むよりもポジティブに考えましょ。

 

それよりも問題なのは、

言うべきじゃない言葉を、言うべきじゃない言葉と知らずに大人が連呼している場合。

 

そんな言葉があるのであります。

本日は、その代表的なものをご紹介します。

 

ホントのところ言わない方が良い言葉

汚れるよ・危ないよ

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心理学に「原初的好奇心」という言葉があります。

我々が赤ちゃんの時から持つ「理由もなく、とにかくわき出てきて仕方がない興味」のことです。

具体的に例を挙げると、

赤ちゃんが、鉛筆や絵本、積み木、はたまたホコリなど、目にしたものをかじったり舐めたりしては、いつまでも手放そうとしないようなアレ。

幼児になっても、あきれるほど何回も同じ絵を描いたり、同じ絵本を繰り返し繰り返し「読んで!」とすがるアレ。

全身泥んこになりながら、一生懸命に土を掘っては埋めたり、ひたすらをアリを追いかけたりするアレ。

そんなアレたちのこと。

 

それもこれも、「理由なく」湧き出てくる興味のなせるわざ。

この飽くなき興味、探究心こそ、「原初的好奇心」というやつです。

 

子どもは「これはムダな情報」「それはいらない行動」といった具合に区別しません。忖度もなし。

目に入る全てのことに強い興味を持ちます。
大人から見ると、危なっかしくて危うくて、正直ストレスもたまります。

なので、大抵の大人は無意識のうちに子どもの原初的好奇心を「つぶす」ことに必死の毎日を送ってしまうことになります。

 

原初的好奇心 VS 大人の常識 の構図です。

 

「それは危ないからやめて」

「そんなのしなくて良いから」

「あ!それ触ったら汚れる!」

「そんなとこ座ったら砂がつくでしょ!」

 

そんなセリフが毎日のように続く結果。


大抵の場合、大人が「勝利」します。

 

勝利したらどうなるか。

 

原初的好奇心は潰され、

「別に興味なーい」「それって意味ある?」が口ぐせの、無気力な若者へと、変身していくワケです。

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逆に「原始的好奇心」が満たされた場合はどうなるか。

「知的好奇心」へと発展します。

 

知的好奇心が大人になっても大切なのは言うまでもありません。

 

原初的好奇心を満たすには、こちらは何もしないこと。つまり、見守りが中心になります。

「何もしなければ良い」というと、一見簡単そうですが、これが大人にとっては最も難しいことの1つ。

だって気になりますよねー。

子どもが変なことしてると。

 

ホントのところ、現代の子ども達にとって、大人の目が届きすぎなんだと思うのです。

兄弟の数も減り、遊ぶ範囲も大人の視界の範囲内だけ。

目が届くから、ついつい言っちゃう。

今の子ども達は本能的に窮屈してるんだと思います。。

実際に大人の目が届かない時間や場所は子ども達の発達に必要不可欠だと指摘する研究は色々あります。

 

つまりは、見なければ良い!

 

ですが、これまた難しい。そーゆーわけにもいかず。

結局は大人の意識を変えざるを得ないでしょう。

僕はなるべく見ないように努めてます。。

 

ともかく、本音では、原初的好奇心VS大人の常識の構図を崩し、見守りを中心にしたいのです。。

そして大切なのは、「肯定的な共感」です。

「何かな?不思議だね。」

「すごいねー。」

「面白いね。」

と、一言で良いのであります。

 

時には積極的に後押ししてやることも、

「試しにやってごらん」

「それはなぜかな?」

「調べてみようか」

こうすることで、だんだんと理由を探究する高度な好奇心が芽生えます。それが知的好奇心へと発達を遂げます。

 

「汚れるよ。」「危ないよ。」という言葉には「やめなさい」という意味が含まれてます。

そうした言葉が原初的好奇心を潰すことに繋がります。

「汚れたね。」「危なかったね。」というのはギリギリセーフだと個人的に思ってます。

 

とはいえ、本当に命を失う危険な場合は、即刻やめさせましょう。

当たり前ですが。。念のため。。

 

失敗しないようにね

何かをする前に、エールを送る意味で

「失敗しないようにね。」

なんて言ってませんか。

これも先ほどの汚れるよ、危ないよ発言と同じように、原初的好奇心を潰しかねない言葉です。

何度も言われた子どもは、失敗を恐れる子になります。

それが、用心深さの範疇を超えて、何もチャレンジしない子に至ってしまうことが最も恐れるべき事態であります。

 

大人から見ると、明らかにこのままだと失敗すると分かってる場合。

どうされてますか。

「それじゃ失敗するんじゃないか?」

「失敗するからこうしてごらん。」

などと、やる前から言っちゃってませんか。

 

言いたい気持ちはよーくよーく分かりますが、ぐっとこらえて、何も言わずに見守りませう。

 

失敗は大切な経験ですから。

喜びませう。

 

失敗についてはこちらの記事に詳しく書いてます。お時間があればご一読くだしゃんせ。

疲れたね

これはおそらくかなり言ってる人が多いと思います。

この言葉は、今回の記事のハイライト。

特に警鐘を鳴らしたい言葉であります。

 

子どもに優しく「疲れた?」とか、「疲れたね。」と声をかけてあげるお母さんの姿を、僕も何度もお見かけしたことがあります。

 

結論から言います。

これを繰り返すと、子ども達の身体は本当に疲れやすい身体になってしまいます。

 

最近、疲れやすい子どもが増えています。

 

その原因としてよく聞くのは、運動不足、食事や睡眠などの生活習慣の乱れなどですよね。

もちろんその点に原因があるお子さんもたくさんいる事でしょう。

 

しかし、一方で、お子さんのことをとても大切にするあまり、周囲の大人が疲れやすい身体にしてしまっているケースもたくさんあるように見受けます。

 

ちょっと歩いただけなのに、「疲れてきた、、。」

ちょっと鬼ごっこしただけなのに「もう走れない。疲れた〜。」

幼稚園でもよく聞きます。

街を歩いていても、「お母さん、もう疲れた〜」という声を聞きます。

 

そんな時に、

「疲れたんだね〜。」

「たくさん歩いたから疲れたよね〜。」

「疲れただろうからちょっと休もう。」

なんて、共感する。

 

皮肉なことに、この大人の優しさが仇になるのであります。

だからこそ、皆さんにホントのところをお伝えしたい!

 

子育て本には、「子どもの気持ちに寄り添う」「共感してあげて」なんて言葉が見境いなく飛び交っています。

結果、子どもの気持ちに寄り添わない、子どもの発言を否定するような言動は、全て「悪」といわんばかりです。

 

しかし、現実はそうではありません。

 

子どもの言動に振り回されず、あえて反応しない、つまり「無視する」ことも大切ですし、場合によっては、子どもの言動を否定する、打ち消すことも必要です。

 

そして、その1つが、「疲れた」発言の時です。

 

子どもが「疲れた」と言った時。

 

どのように応えていますか?

 

僕は、笑い飛ばしちゃいます。

「はっはっは〜!」

と。

「ご冗談を申されるな、若君(笑)」

と言わんばかりに。

 

そんで軽めに一言。

 

「子どもは疲れません。」

 

と。

ビシッと一蹴です。

 

言葉には、僕らが思っているよりもとても強い力があります。

我々が気づいてない、無意識下でその影響力を発揮します。

 

たとえば、自己暗示とか、思い込み。

これらは、脳にとっては「事実と等しい意味」を持ちます。

 

この効果を最大限利用している代表的な人達。

それは、スポーツ選手でしょう。

 

彼らの行うイメージトレーニングは、いわば「かなり強めの思い込み」のようなものです。

自分が実際に身体を動かしているように詳細にイメージし、成功体験を頭の中で積み重ねます。

 

このイメージトレーニングのスペシャリストの1人が体操の内村航平選手です。

 

NHKスペシャルという番組から少しご紹介。

内村選手がイメージトレーニングしている時の脳の活動を見ると、身体を動かす時に働く高次運動野という部位が活動していることがわかりました。

実際に身体を動かすことなくその部位を活動させるのは、極めて異例だということです。

内村選手は、その人並み外れた集中力と訓練で、イメージだけで運動していることと同じ脳活動にもっていけるということが分かったのです。

 

内村選手のレベルは常人ではなかなかたどり着けないでしょうが、この極めて極端な例を見ると、思い込みというのは、脳のレベルでは事実と変わらないということがよく分かると思います。

 

ここまではいかないにしても、スポーツ選手の話を聞くと、本番直前まで「自分はできる」と、何度も心の中でつぶやいたり、成功した後のイメージを繰り返し頭の中に思い浮かべたりと、自己暗示をかけるようなイメージトレーニングの話はよく聞きます。

スポーツ選手のコーチが、試合前や試合中に選手にポジティブな言葉をかけ続けるのもいわばこうした思い込み効果も期待してのことです。

 

もともと脳は「実際の経験」と「頭の中で鮮明に描いた想像上の経験」を区別するのが苦手です。

それもそのはず、脳は身体の中に閉じ込められて、直接外部との接触ができません。

全て身体を通して知るわけです。

なので、「実際の経験」と「頭の中で鮮明に描いた想像上の経験」を区別する必要性がもともと無いわけです。

必要性がないものは発達させない。

 

これは生物の環境への適応の大原則です。

 

おっと、話が逸れていってます。

 

ともかく、思い込みや自己暗示によって、脳は意外と簡単にごまかされてしまうのです。

 

個人的に、フィギュアスケートの羽生結弦選手が本番に強いのは、思い込みの強さが他のスポーツ選手を圧倒してるんじゃないかと思います。

羽生選手の言動を見ていつも感じてます。

あ、個人的な意見なので聞き流してください。

 

病は気からという言葉がありますが、これも似たようなことです。

自己暗示の類です。

 

さて、

というわけで、

話を戻さねば。

 

子どもが「疲れた〜」と言って、それをいちいちしっかり受け止めていると、大して疲れていない時でも、本当に疲れたように脳や身体が受け止めてしまうのです。

 

「疲れた」という自分自身の発言と、それに共感してくれる大人の言葉に、疲れたと脳が認識して、余計疲れたり、疲れを認識しやすい脳や身体になってしまうのであります。

 

子どもが「疲れた〜」と言った時は、大抵、「子どもは疲れないよ」と、軽く打ち消してあげてほしいと思います。

 

笑顔で。

 

そして、こちらからあえて「疲れた?」なんて伺うのも今日限りやめませう。

 

嫌い

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「言うことを聞かない子はママ嫌いです!」

「そんな乱暴なことをする子は嫌い!」

 

こんな感じ。

 

もちろん、本当に嫌ってるわけじゃござんさんよね。

「嫌い」という言葉にあまり深い意味を込めないまま言ってることが多いかなって思います。

 

現場でも時々言ってる先生がいたりします。

が、僕はこの言葉、要注意かなって思ってます。

 

嫌いという言葉は、人格を否定することに近く、その子の存在を否定する言葉に繋がりかねません。

存在への自信を失うと、それはもう厄介なことになります。

これについては、過去記事をご参照ください。

嫌いという言葉は結構強めのエネルギーを持っていると思います。

 

そもそも、この言葉自体使わなくても、注意はできるので、使わないに越したことはないと考えています。

 

上の例で言えば、

「いうことを聞きなさい。」

「乱暴なことをしてはいけません。」

 

と、ストレートに言えばいいと思います。

 

百歩譲って

「言うことを聞かなかったその考えは嫌い。」

「乱暴をしたこの手は嫌い。」

くらいの言い方まででしょうか。

 

しつけは大切ですから。

注意や叱責も時には必要です。

 

ちなみに、子どもが言うことを聞かないことに関しても、過去かなり詳しく書いてます。

現代の子ども中心子育てにどっぷり巻き込まれたママにはかなり驚かれる内容だと思います。

全身全霊を込めて具体的に書いてますので、心当たりの方には絶対に読んでいただきたいと思ってます。

5W1H

これは色々なところに書いてありますが、一応このブログでも書いちゃいます。

だって、あまりにも広く使われてるから。

 

「なんで(why)いつも同じことするの?」

「誰が(who)そんなことしなさいって言った?」

「いつ(when)やりなさいって言ったと思ってるの?」

 

こんな風な叱り方。

意味がないのでお控えなすって。

 

質問してるけど、答えれるわけないし、答えたら怒るだろうし。

 

注意や指示、命令。

僕はこれらのことを否定しません。

どれも必要だと考えています。

しかし、鉄則があります。

「ストレートに、静かに、端的に、短く」

伝えるべきです。

 

というのも、脳の活動にヒントがあります。

大きな声で叱られてる時の脳の活動を見ると、右の側頭葉が主な活動しています。

ここは、音を音として聞く脳部位です。

そして、落ち着いた口調の話を聞いている時は、左側の側頭葉が活動します。

ここは、音を言葉として聞く脳部位です。

つまり、大声で叱られている時は、言葉は音として処理されているので、言葉は入ってきづらいのです。

やかましい雑音として処理されてしまうのです。

皆様もそんな体験ないでしょうか。

大声でたくさんまくしたてられたけど、内容を全然覚えてない、、。

そんな体験。

理由は音として処理されてることにあります。

 

言葉として頭に入れるには、静かな口調でないと入りづらいのです。

 

一方で、大声には、注意力や覚醒レベルを高める働きもあります。

 

つまりは、まず大声で「こら!◯◯くん!!」と呼び、注意力を高めといて、そこから急転直下、静かに諭すことで言葉として入れる合わせ技。

ま、昔から皆さんよく使われてるといえばそうですが、この方法、科学的にも理にかなってます。

 

最後に

ちなみに、「言うべきでない」とはいえ、つい感情的になり、言ってしまうこともあるでしょう。

それでも良いのです。

いや、手放しで良いと思うわけではありませんよ。

でも、そういう負の側面にも必ず意味はあります。

むしろ、一度や二度はそういう姿を見せた方が子どもにとってもプラスなんじゃないかとさえ思うこともあります。

が、そんなこと言ってると、一度や二度じゃおさまらなくなっていくのが人間。

 

こんなこと言いながら、我が家も三度や四度、、いやいや、後悔の日々ですが。。

まぁ、人間だもの!

 

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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