脳科学と心理学から語る子育てのホントのところ

子育て全般について、主に脳科学と心理学の観点から、本当に大切なことをメモ代わりに書き綴っていきます。

子育ての極意「さわる」べったり育児編

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子育ての極意も佳境に。

2歳までは、この極意でバッチリです!

騙されたと思って、やってみていただきたい。

結果は少年期、青年期、はたまた大人になってから出ます。

三つ子の魂百までは科学的に正しいことがわかってます。

と、いうわけで。

今日もここから。

 

1.目と目を合わせる、見つめ合う

2.微笑む、笑顔を見せる

3.話しかける

4.褒める

5.触る、ふれる

 

本日も「さわる、ふれる」について、掘り下げていきますよ!なんてったって、最後のスペシャルな極意ですから。

そのスペシャルさとアンビリーバボーな効果をしっかりとお知らせしたい!

 

でも、今回かなり長くなっちゃいました。。

ごめんなさい。ご辛抱の上、お付き合いください。

 

 

べったり育児の民族

 

べったり育児とは、肌と肌を密着させる育児のことです。

特に0歳〜1歳にかけての時期。

いや、2歳になるまででもいいかも。

親子が身体を密着させて育児をする方法です。

「さわる、ふれる」をたくさんしている育児です。

 

まずは、べったり育児をしている、いくつかの民族をご紹介しますね。

そこから、「さわる、ふれる」ことの大切さや絶大な効果が見えてくると思います。

 

イヌイットの子育て

 

まずは、イヌイットの話から少しご紹介。

ウィキペディア「イヌイット」より

イヌイット (Inuit) は、カナダ北部などの氷雪地帯に住む先住民族のエスキモー系諸民族の1つで、人種的には日本人と同じモンゴロイドである。エスキモー最大の民族である。

ウィキペディア「イヌイット」より

 

イヌイットはとても穏やかな民族で知られてます。

実は、この穏やかな民族の子育ては、幼児教育業界では、わりと知られた存在なのです。

それは、様々な点で示唆に富んでいるからなのですが、まずはその一例をいくつか。

 

イヌイットの大人達は子ども達を決して叱ったり叩いたりしません。

子ども達は、亡くなった祖先や親戚の名前を引き継ぐそうです。

なので、ご先祖様を敬う彼らは、その敬意を込めて子ども達と接します。

それが、叱ったり叩いたりしない大きな理由です。

また、修正したい行動に対しては、「無視」が基本方針となっているようです。

 

これだけでも十分示唆に富んだ、興味深い内容なのですが。

注目したいのは、イヌイットの「さわる、ふれる」子育て。

つまり、べったり育児です。

ここでまた一つ引用させていただきます。

 

イヌイット(エスキモー)は赤ん坊が生まれると、すぐに母親の背中におんぶされる。赤ん坊はトナカイの革でできたおむつをしている他は裸で、お腹は母親の背中に直接くっついているのだそうだ。イヌイットの赤ん坊はほとんど泣くことがないのだが、それは母親が皮膚を通して直接背中の赤ん坊の欲求を知るからだという。

山口 創「子どもの「脳」は肌にある」より引用

 

イヌイットの人々はめちゃめちゃ寒いところで、それこそ氷に囲まれて生活しています。

でも、赤ちゃんは、オムツ以外、素っ裸!

お母さんのコートの中で、肌と肌を直接触れ合って育てるのであります。

 

上の引用文で特に注目していただきたい点が2つあります。

 

 ① イヌイットの赤ん坊はほとんど泣くことがない

 ② 母親が皮膚を通して直接背中の赤ん坊の欲求を知るから

 

①の内容、信じられますか?

②もにわかに信じ難いかもしれません。

 

だって、要するに、赤ちゃんが泣く前に、赤ちゃんの欲求を背中で感じ取って対処するから赤ちゃんが泣く必要がないということですヨ。

 

信じられます?

 

僕もこの著者には申し訳ないのですが、最初は半信半疑でした。

「さわる、ふれる」が大切だということは、もちろん反対の余地はございませんよ。

だけど、さすがに①と②は言い過ぎだろうと。

そう思っていたのであります。

 

数年後、ある番組を見るまでは・・

 

アフリカのとある民族の子育て

 

NHKの番組で、アフリカのある民族のトギュメンタリー番組がありまして。

その番組名はすっかり失念してしまったのですが(地上波かBSかも不明)。

そこで、衝撃的なシーンを目の当たりしました。

 

番組では、その民族の育児をする姿も紹介されてまして。

数人の赤ちゃんを抱えたお母さんが映っていました。

 

お母さんは上半身裸。

赤ちゃんは全身裸。

 

常に裸同士で抱っこ、、。

 

それを聞いて、疑問が生じませんか。

オシッコかけられないんだろうか、、って。

 

僕だけ?

 

でも、番組の制作者もそれを感じたのか、子どものオシッコシーンがあったのです。

 

それが衝撃シーン。

 

いきなりお母さんが赤ちゃんを抱えたまま、片手で身体を外に向けたかと思ったら、

次の瞬間、

 

「シャーッ」

 

と、赤ちゃんがオシッコ。

 

赤ちゃんから合図があったわけではありません。

だって、しゃべれませんから。

声も発してません。

 

制作者も僕と同じ疑問を感じたようで、

「赤ちゃんのオシッコするタイミングが分かるんですか」

と、質問。

 

お母さん達の回答は、うろ覚えですが、

 

「え?当たり前でしょ。てか、わからない人いるの?」

 

みたいな感じでした。

 

どひえぇーー!!

 

おそらく、僕が同じようなことをしても、見事にオシッコをひっかけられるだけでしょう。

 

だって、0歳のわが子を抱っこしたりおんぶしたりしてますけど、いつオシッコ出したかなんて分かんないですモン。

 

皆さま、分かります??

 

まさに啐啄同時(そったくどうじ)とはこのこと。

これ禅の言葉で、教育界でも時たま使われる、これまた示唆に富んだ言葉であります。

 

つまり、イヌイットも、このアフリカ民族も、肌と肌の直接のふれあいを通じた中で、安定した育児を実現しているのであります。 

 

ですからして、赤ちゃんは泣かないで済むというわけで。

 

赤ちゃんの欲求が、肌と肌の直接の触れ合いを通じて、手に取るようにわかるのでしょう。

 

そうなると、お母さんもラクですよね。

だって、赤ちゃんが何をしてほしいか分かるんですから。

 

多くの親は、赤ちゃんがなぜ泣いているか分からないから大変なんですモン。

 

オムツかな?

おっぱいかな?

眠たいのかな?

体調が悪いのかな?

 

分かんないから、育児って大変。

疲れちゃうってなっちゃうのでありますよ。

 

と・こ・ろ・が!!

 

かつての日本は、この二つの民族のようなべったり育児をしておったのです!

 

昔の日本の子育て

 

ここで、まず注意。

日本の子育ては、戦前と戦後で大きく変わりました。

なぜ変わったか。

戦後、欧米文化がなだれ込んだことが大きな要因です。

 

この辺の話は、出産に関連していつか記事にしたいと思っています。

歴史ブログにならない程度に・・。

 

そんな事情から、ここでいう「昔」というのは、「戦前」と定義します。

よく、お年寄りの方が「昔はこうじゃった」「ああじゃった」と、言いますが、その方々の「昔」は、大抵が「戦後」です。

ここでいう「戦前の意味での昔」とは違います。

そこはしっかりと踏まえていただいて・・

 

ここからの話もにわかに信じがたいかもしれませんが。

 

実は、日本の赤ちゃんも昔はめったに泣かなかったのであります!

 

信じられない?

 

明治時代に日本を訪れた外国人は口を揃えて似たようなことを言い残してます。

 

中でも有名なのは、エドワード・S・モースでしょう。

あの大森貝塚を発見した人です。

走る汽車の中から発見。・・この人も変わった方ですよね。

いやいや、立派な方です。

 

モースは、「日本その日その日」という著書に日本文化を得意の絵入りでつぶさに紹介しています。

 

その中には、子育てについても何点か触れておりまして。

 

以下、ちょっと長いですが、引用しますね。

小さい子供達は赤坊を背中に背負って見物人として田の畔にいるらしく見える。この、子供を背負うということは、至る処で見られる。婦人が五人いれば四人まで、子供が六人いれば五人までが、必ず赤坊を背負っていることは誠に著しく目につく。

(中略)

赤坊が泣き叫ぶのを聞くことは、めったになく、又私はいま迄の所、お母さんが赤坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない。私は世界中に日本ほど赤坊のために尽す国はなく、また日本の赤坊ほどよい赤坊は世界中にないと確信する。

E.S.モース「日本その日その日1」より引用

 

と、こんな感じです。

他にも似たような記述は多々ありまして。

 

世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。

(中略)

日本人の子供程、行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本人の母親程、辛棒強く(原文ママ)、愛情に富み、子供につくす母親はいない。だが、日本に関する本は皆、この事を、くりかえして書いているから、これは陳腐である。

E.S.モース「日本その日その日2」より引用

 

モース氏は、かなり日本びいき。

上の文章も主観的であることは間違いなく、大げさなのではないかという指摘もあります。

が、モース氏は、実は東南アジアやヨーロッパを何か国も渡り歩いた研究者でもあり、その後に執筆したのが上記の文章ですので、単純に出身国アメリカと日本を比べただけの話ではないことも事実です。

それに、モース氏が書いている通り、日本の子育てに同様の感銘を受けた外国人は他にもたくさんいたのであります。

 

さて、ともかく僕なりに、昔の日本のべったり育児の例を少し挙げてみます。

 

  • ①おんぶ紐でおんぶ
  • →おんぶ紐は、言うまでもなく、べったり育児ですよね。日本の伝統です。高畑勲監督の「かぐや姫の物語」にも、子どもがおんぶ紐1本で、器用に赤ちゃんをおんぶするシーンがあります。モースも散々描いていますが、昔はほとんどの時間、母親や祖母をはじめとする大人や、子ども達も赤ちゃんをおんぶしていたようです。
  • ②和服文化
  • →おまけに、和服ははだけやすく、下着も着用しません。どう考えても自然と肌と肌が触れ合う機会が多かったことでしょう。
  • ③日常的に裸になることが多い
  • →さらには、モース氏の「日本その日その日」には、男女問わず、大人が様々な場面で、裸で何かをしている姿が描かれています。下の「図101(日本その日その日より引用)」には、ふんどし一丁の男性が赤ちゃんをおんぶしながら釣りをする姿が描かれています。
  • ④いつでも授乳、添い乳
  • →昔は、赤ちゃんが欲しがるままに母乳を与えていたと言われています。下のモース氏の図のように、裸で添い乳をすることもしばしばだったのでしょう。
  • ⑤畳文化
  • →畳文化というのは、「さわる、ふれる」に大きく影響を与えています。たとえば、イスという「個別の場所」がありませんので、必然的に距離が近くなります。食事ならば、肩寄せ合って、同じ鍋をつつくわけです。ベッドが必要ありませんから、寝るときは家族で川の字に寝ます。
  • ⑥小児按摩
  • →江戸時代までは、小児按摩といって、赤ちゃんへのマッサージも日常的に行われていたそうです。今でいうベビーマッサージでしょうか。

 

下の図は、モース氏の「日本その日その日」から引用した図です。

 

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何気ない日常生活の中で、とにかく日本の子育てはべったり育児だったということが分かるかと思います。

 

べったり育児の効果

 

さて、べったり育児とそうでない育児をする民族を比較した研究がありまして。

文化人類学者のマーガレット・ミード(1901-1978)という方が、世界の異なる文化で人と人との触れ合いの調査をしました。

ニューギニアのある2つの部族を比較した調査研究です。

一方の部族の母親は、赤ちゃんを首から下げた小さな網に入れているため、母親と常に肌を密着させていました。

もう一方の部族は、赤ちゃんをバスケットに入れて運んでいたため、肌が触れ合うことはほとんどありません。

前者の部族の人々は、みんな穏やかで、優しく、争いごともほとんど無いそうです。

後者の部族は、それに比べて攻撃的で争いごとが好きだということが分かりました。

 

また、上で引用した山口創氏の研究でも、それを裏付ける結果が出ています。

乳児期のスキンシップの量と、思春期になってからの攻撃性(特にキレるという感情について)の関係性を調査したその研究では、スキンシップの量が少ないほど、攻撃性が高まるという結果が出ています。(2003 山口)

 

総じて、べったり育児をうけた子どもは、心の安定した穏やかな性格になることにつながると言えそうです。

しかも、乳児期の「さわる、ふれる」体験が、思春期以降までつながっていることも分かります。

 

脳の話をすれば、「さわる、ふれる」はオキシトシンやセロトニン神経を刺激し、それらの分泌を促すことはこれまで幾度となく書きました。

 

www.musubiyt.com

 

オキシトシンは人と人との信頼関係、絆の構築に寄与します。

セロトニンは、安心感、満足感で、安定した心を育みます。

 

上記の調査や実験にあった「穏やかになる」ことと強い関連が見て取れますよね。

 

これが「さわる、ふれる」の偉大な効果なのであります。 

 

べったり育児から遠ざかった日本の子育て

 

さて、突然ですが。

日本のべったり育児の伝統は、明治から戦後にかけて失われてしまいました。

 

ハイ、本当です。

 

ごくごく簡単に、大雑把に言ってしまうと、当時のアメリカの”科学的な育児”とされる方法に押し流される格好で、日本の伝統的なべったり育児は否定され、大部分が捨て去られてしまったのです。

 

当たり前のように行なってきた日常の何気ないことって、記録に残さないから、忘れられるのも早い。

記録として残っていないから、忘れたら取り戻せない。

 

「当たり前にしてきた伝統」ほど大切なことは無いのに。

 

そんな過去の経緯があり、日本の伝統的なべったり育児は戦後に失われたのであります。

くどいですが、詳しい話はいつか書くつもりです。

 

さて、ここからは誤解を恐れず、ちょっぴり過激な意見も書いちゃいます。

子育てのホントのところを伝えるブログなので。

 

今の日本の子育てにおいて、「さわる、ふれる」という観点から言うと、まだまだ不足していると言わざるを得ない状況です。

 

確かに、近年その大切さに対する意識はかなり高まってきてます。

 

目立っているのは、おんぶ紐や抱っこ紐をする人が増えたこと。

男女問わず、よく見かけるようになりました。

 

少し前までは、移動というと、大抵ベビーカーでしたよね。

夜はベビーベッドが主流だったでしょう。

 

考えてみてほしいのです。

 

ベビーカーやベビーベッドというのは、「さわる、ふれる」とは対極の位置にある赤ちゃんだけの仕切られた空間です。

 

戦後、日本に流れこんできたアメリカの育児方法は、ちょうど「自立」に重きを置き、「さわらない、触れない」育児が大流行。

それが科学的な育児と称され、徹底された時代でした。

 

ところが、近年、欧米でも「触れる」ことの大切さが指摘され、日本でも外国製のおんぶ紐や抱っこ紐がたくさん販売されるようになりました。

おんぶ紐が当たり前になってきている

日本にもその流れが入り、おんぶ紐や抱っこ紐をする人が増えたのです。

「さわる、ふれる」文化の逆輸入と言ったら良いのか・・。

 

この経緯を見ると個人的には非常に残念ですが・・。

 

日本の伝統的育児文化を取り戻したというよりは、今も欧米に流されているのかもしれません。

 

が、結果として「さわる、ふれる」育児が増えれば、それは良いことに違いありません。

ネガティブに受け止めず、ポジティブに、良しとしませう!

 

少し前までは、「川の字に寝るのは危険」などと言う人が専門家と言われる方の中にも多かったくらいですから。

 

ただ、まだまだ不足しがちだと思うのです。

たとえば、

  • 〇赤ちゃんに服を着こませ、肌の露出が少ない
  • →靴下なんかはく必要は無いし、言ってみれば下半身はオムツのみで構いません。それに、ミトンも正直言うと賛成しかねます。
  • 〇おまけにお母さんも服を着すぎな傾向にあるように思います。
  • 〇フローリングが主流ですので、床で生活しない限り、どうしても触れ合いの機会は減少します。
  • 〇バウンサーや、ゆりかごの利用も、考え方はベビーカーやベビーベッドと同じと言えます。

 

などなど・・挙げれば色々とあります。

が・・。

 

現実を見る

 

さぁ、理想は語りました。

現実を見てみましょう。

現実は厳しい!

確かに一日中抱っこやおんぶなんて、してられないですよネ。

そりゃそうです!

 

現実問題、昔とは違うのであります!

 

昔のお母さんだって、一日中おんぶしていたわけじゃありませんよ。

お祖母ちゃんに預けたり、お兄ちゃんお姉ちゃんに預けたりしていたのです。

 

でも、現代の多くのお母さんは、核家族化でそれができない。

ワンオペ育児で常に大わらわ状態です。

 

思い切って言いましょ。

 

もともと、お母さん一人で子育てをするなんて、無理があるのです。

だって、こんなこと人類が誕生して以来、あり得なかったわけです。

 

ワンオペ育児は、歴史上「異常なこと」なのです。

 

でも、そうするしかない家庭はたくさんあります。

そんな中で、無理を押して、多くのお母さん達は必死で子育てをしてらっしゃいます。

 

ですので、

「ベビーカーやベビーベッド、バウンサー等々を使うな!」

とか、言うつもりは毛頭ありません。

「全てのフローリングに畳を敷いて、ちゃぶ台と座布団にしなさい!」

なんて頭のおかしいことも言いません。

 

我が家もベビーカーはあります。

お恥ずかしながら、バウンサーだって買ってますヨ。

だって、使ってみたかったんですモン。

さすがにベビーベッドはありません。置ける広さもないですし。

 

でも、それらを利用しながらも「さわる、ふれる」を取り入れる工夫をしてます。

 

たとえば、

 ・僕が一緒のお出かけ時は、ベビーカーはなるべくお休み。なるべく僕が抱っこします。

 ・家にいるときは、なるべく肌着一枚とオムツのみで過ごさせる。

 ・添い寝して、余裕があればベビーマッサージ(適当)もする。

 ・抱っこする時は、手を服の下に入れ、直に肌に触れる。

 ・寝る前など、時々上半身裸で抱っこする。

など、無理のない範囲で少しずつやってます。

 

繰り返しますが、徹底する必要は無いと思うのです。

ベビーカーも使えばいいし、フローリング生活でも良いんです。

 

要は、使いどころです。

うまく使えばいいのです。便利なんだから。

 

「共存」が僕らの生きる道です。

 

でも、ホントのところを「知っておく」ことは大切だと思うのです。

 

「さわる、ふれる」が物凄く大切だということを知っておいてほしいのです。

 

知識があれば、意識が変わり、行動が変わります。

 

大変な中でも、工夫が生まれるはずです。

 

だって、少しでも子どもの為に良い環境を整えたいというのは、子どもを持つ全ての親の願いですから。

 

工夫により、日々の生活の中で少しずつ「さわる、ふれる」が増えれば、それは積み重なり、大きな影響を与えます。

と、信じてます。

 

おっと、気づけばかなりマジメな話になりましたが、とにかくそんな感じです。

 

長かったぁ・・。

ごめんなさいね。

でも、まだまだ語りつくせない・・。

 

というわけで、次回も懲りずに「さわる、ふれる」について続けます。

だって、大切なんだモーン。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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